白の世界

第三章:詮索

 気配を察知するのにそれほどの時間を要しなかった。異質な人物、一人で暮らすこの家には存在しえない者。不用意に殺気を散らす“それ”を脳は障害として頭に刻む。
 死の範囲、すなわち相手の間合いには俺の身体は無いはずだ。
 俺の勘がそういう。
 そう、気取られたことを、気取られてはいけない。下手に動くな、殺される。
 肝心なのは、相手の動きを知ること。相手の死を見ること。
 動作は先ほどと同様に継続させる。手はいまだコーヒーカップに。
 背後、視線を向けないそこには誰がいるだろうとは考えもしない。
 無駄な思考をシャットアウト。
 自分自身が、完全な勝利を欲している。だからこそ目を向けない箇所も出る。
 目を眩ませるのにコーヒーでも使うか……そのあとは、随時考えよう。完全にねじ伏せる。
 ここまでが脳を巡るのに二秒。これまでと同じように、冷静になる頭は減速というものを知らない。
 しかしながら異常が発生する。
 標的の動作が無い。
 しかたない。このまま待つのは危険だ。
 カップを机に置く音を背に、俺は弾ける。
 床を破裂させる足に迷いは持たすな。速度を……
 と勇みよく動く足をよそに、眼は想像外のものを捉えていた。
「ぅおッ?」
 転びそうになった、と思ったがやっぱり転んでいた。慣性の法則だ。すてーん。
「あっ……」
 そこで見た光景は、
 ビクッと肩を震わす少女が、上下逆さになった俺に、
「そうかあんたがいたんだ!」
 急に視界に現れた車に驚く猫のように、驚いた瞳を向けて床に縫われていた。
「なに、してるの……?」
 その女の子は、僅かに首をかしげたように見えた。

「………………」
 三点リーダを無駄に消費す沈黙の中、何かすごく息苦しくなった俺がいた。
 こう、なんか話さないと相手に悪い気がする、ような。
 正面に位置する少女は依然無色の瞳を俺の顔に固定している。
 しかしそこから何かの意識を汲み取ることは少々難易度が高い。
 何故かって? 自分で考えろ。
「こ、コーヒー……どうだ?」
「それ、あなたが飲んでた」
 そうだった。
 雪を運ぶそよ風のような声で言葉を紡ぐ少女。これがまた目を見張るほど美しい。
 あんましそれ関係に興味のない俺が言うんだ、間違いない。
 人に媚を売るという美しさではなく、清楚、端麗。この一言でかたがつく顔立ち。
 漆黒の瞳は何処までも深く。白銀のまつげが無駄な装飾品よりその視線を際立てる。
 前に座った様子からは、身体も小さく、よくあの大太刀が振れたと思う。
 いや、大鎌……か。
 まぁ、この子とドッキリ対面式をしているのは理由があってのことだ。
 さきほどの……俺がすっころんだアレで、この少女は一応目を覚ましたことは解った。
 しかし俺は他の事情はまったく知らず、また立たせておくと一生そこに立ち尽くしていそうな感じがしたので、わざわざソファを移動させて見合わせられる環境にした。
 弊害といっちゃあなんだが、まあ、気まずい。
 俺がこういう環境を作ったのだから俺が話しかけたほうがいいのは事実だし、俺も話したいことはある。
 しかし、いきなり
「頭大丈夫か?」
 と、言えるほどできた人間ではないので、少し考えている。人目から見たら気まずそうなのは俺だけみたいだが。
 そう思い巡らせている間も少女はひと時も休まず色の無い視線を俺の両眼にセメントで塗り固めている。
 座らせてから今まで、つまり最初からだ。
 仕方ないからこちらもその漆黒の双眸を観察する。コーヒー飲みながらね。冷めてるけど。
 何秒かそうしていた、ら。
 唐突、って言葉がジャストミートな感じで少女が息を静かに吸い込んだ。
「キリ、ヤマ……シュウ」
 と、名前をフルで歯切れ悪く呼ばれた。
 あまりにも突拍子も無かったのでこいつ本当になんか喋ったか? という錯覚に陥ったが反応しきれた俺に拍手して欲しい。
「なっ、んだ……?」
 先ほど飲み干したコーヒーと同じか、それ以下の体感温度の声が耳に届いてから数十秒。少女は停止して、まったくの変動を見せず時間が過ぎる。そのためど
れだけたったかわからなくなった。
 しばらくたった後、少女は口元を微量に揺らめかし音をつなげる。しばらくって言葉は便利だなぁ。
「理解できない」
「……あ?」
 俺も今同じ気持ちだよ。
「何故私は死んでいない」
「……は?」
 トリッキーすぎて俺の頭もとりっぴーだ。
「すまない。説明が欲しい」
 少しの静寂。
 時間経過を感じた少女はその漆黒の双眸に色を灯し、しかしあえて言いづらそうに言葉を搾り出す。
「……詳しいことは言えない」
 なんだそれ。
 って思っていたら顔に出ていたらしい。
「ごめんなさい。でも、私があなたを殺そうとしてしまったのは事実」
 とてつもなくすまなそうに目をふせる少女。
「許して、と言えない……よね」
 その光景は万人を癒すだろう。しかしそのような興味より先に事前の事柄を片付けたい。
 そうか、確かに。
 とりっぴーだった頭は回転を始める。
 今俺は無事だが、この少女に確実に仕留められそうになった。信じられんが、
でかい鎌で。
 この事象は確かだ。忘れてはいたが。
 鮮明に記憶している。
 これが真実ならば……少し、厄介だな
 なんせ日常生活の中で命を狙われるって項目はここ日本に存在しえない。
 危ないことにでも首突っ込んじまったか。なんもしてねぇよな。
 この子の言動から考えて、謝る、自分の意思ではないということか。
 作業、仕事。やらなければいけなかった……
 何らかの形で行動不可能、活動を中止、はたまた停止中……か。
 行動不可能ってのの理由はおそらく俺との敗北、または暗殺失敗ってところかな。
 なんの宗教だよ。
 つぅかなんでそんなヤツが俺とのんきに話しているんだ?
 まだまだ情報不足、か。
「果たしてそれが事実か? ただの喧嘩と思っていたからな。到底信じれん」
 両手をあげてお手上げのポーズ。実際の人間ならやりかねなだろう、が。

「本当のこと。そうでなければ私はあなたと戦わなかった。ただの喧嘩なんてし
ない」

 ――捉えた。
 事実でなければ俺とは戦わない。
 これは、俺と戦い、殺す理由が存在したから起き得た事象、ということを示す。
 要するに俺を殺す必要があった。だからこの事象は真実。
 やはり正当な理由があるのか。正気を失った、って可能性はない、か。
 掴んだな。
「うむ……」
 俺を殺す理由、か。
 このことは、脳内のフックに引っ掛けておく。
 忘れぬように。
「?」
 少女は首を少しかしげ、しかしさして表情を変えず俺の顔を覗く。
「腹減ったな」
 少女はもっと首をかしげた。

 理解を超える少女の背景、これはこれで気になったがそろそろ昼飯時らしい。
 俺の腹に住んでいる魔物が慟哭している。それほどでかい魔物ではないが。
 ……慟哭ってどういう意味だったか。
 まあとにかく腹が減ってはなんとやら、だな。こいつとの面談はとりあえず保留にしておくか。
「そのことは置いておいて」
 立ち上がり、手軽に作れる昼飯でもないか思考開始。
「置いておいて、って……」
 なにか呟いたが聞こえないふりをする。
 だいたい材料見ながら決めるので冷蔵庫でも探ってみるか。
「なんか飲むか?」
 しかし見事にすっからかん。信じらんねえ。
 棚とかも探しだす俺。
「いらない」
 そうか。
 パパっとできそうなのは……パスタ、かな。ちょうど材料が、ある……かな?
 微妙だな。ああ、水菜が無いな。困ったな。他のを作るか……いや無性にパスタ食いたくなってきたな。
 そうとなると水菜が欲しいな。これがないとな。よし。
 他にも用事あるし……
「……出かけるか」
 
 昨日のうちから作っておいた“買い物リスト”のメモの中に“水菜”をつけたす。
 今回の目的地は大型スーパー。割と近い。
 自然と動く足はいつの間にか目的地に運んでくれる代物、というわけで俺は今考え事をしていた。
 その観察対象は疑問の表情を三十秒に一回程度浮かべながら俺の斜め後ろ、横に近いところをパタパタ歩いている。
 最初は後ろを歩いていたが、気持ち悪いので位置を変えるように言った。腹減ったな。
「名前、なんていうんだ?」
 ちょうど俺が住んでいる家がある住宅地を抜けた。
 とたん、大通りが街を貫く。
「ティル……ティルヴィング」
「ほぅ。かっ、あぁ」
 変わった名前だな。と言おうとしたが外国人の標準なんて判らないので言わずに心にしまう。
 腹減った。
 暇だし、歩いている途中に先ほどの対話をまとめ、メモの裏に書き留めることにした。人間は書いたほうが頭に残る。
 えぇと、このティルと名乗った女の子の言動から考えて。
 作業、ここでは俺を殺すことを実行中、俺に敗北する。
 しかし起きてみると無事。不思議に思い口が滑る。殺そうとした人間が自分を無事に置いておくはずが無いと思ったからか。
 俺は殺されかけたってことを忘れていたから仕方ないけど。
 ティルは、俺を殺したいわけではないが、その必要性がある。
 こんなところか?
 どんな小さな理由だろうと、俺が死ぬことで利益があがるヤツがいるってことはわかったな。どんな宗教か知らんが。
 ティルに命令した人物がいるかもしれない。
 だとしたら、そいつの喧嘩に乗ってやろう。
 楽しそうだからな。
 そのためにもこの少女は帰しはしない、と思って無理にでもついてこさせようとしたが、割と無抵抗だった。
 今ちょうど顔をしかめたこいつは、対談していたときに来ていた黒衣の下に、フリフリでどこかの王国の貴族みたいなドレス、とまではいかないか。洋服、を着いていて俺を少々驚かせた。
 しかしそのような格好では今年の冬を乗り切るのはさぞきついだろうから、厚手の茶色のコート(フードのふちがふさふさなやつ)を貸してやった。たとえ寒さに鈍感だろうとそんな格好でふらふらさせられるのも嫌だしな。
 前に“コート”と記したが一応ハーフコートだ。しかし身体が小さいためか普通のコート通り越してロングコートに見える。手とか出てないし。
 でっかいサイズ買ったからな。
 もちろん横のサイズも合ってないはずだからぶかぶかだが。てか腹減った。
 と、考えていると目的地に着いた。

「さーむぃ」
 このスーパー、でかいといってもそれほどではない。
 ただ住宅地に近いのでだいぶ繁盛している。
 大手のチェーン店らしいから売り上げは個人のものではないな。関係ないけど。
 入り口に近づくと自動ドアが俺のためにわざわざ開いてくれた、折角なんで入れてもらうことにする。
 瞬間買い物かごが目に入る。それを機械的に、冷え切った手で持ち上げ行動の予定を即興で立てた。
 まずはいっぺん回るか、と考えて歩くこと数分。

 野菜コーナーのところでもうギブだ。人の視線に耐えられない。
 なんだクソこっち見てんな殴るぞ、と思っても俺を見ているわけではないから仕様が無い。
 俺が目に付く以前に、おそらく横の少女が視線を奪う。
 確実に日本人離れした長髪とか特に。
 邪魔だなこれ。と、思いながら水菜を探す。
「あった、と」
 野菜をかごに放り込む男子高校生ってのも中々珍しいと思うけどな。それはそれで注目されたらむかつくが。
 周囲の注目を浴びるちっこいのは何か水菜をすごい見ている。
 要するに気にしてないか。
「水菜、、珍しいか?」
「それほど……」
 そう言って顔をむすっとさせる。ティルはずっと無表情だからずっとむすっとしているようにも見えるが。
「知らないのか」
「………………」
 シカトか。無言っていうのは肯定することと同義だぞ。
 ティルはもっとむすっとなった気がした。
 無言ってのが多かったから少し場が和んだな。今ので。
 折角なので話題が欲しいところだ。
 かといって向こうから話してこないし、会話するって意欲も無いので仕方なしに、
「そういやおまえ」
 と、切り出す。
 種類のたくさんあるドレッシングを手に持って見ながら、言いたいことを決める。
 先に切り出してしまうと言うことに迷うな。
 少し時間がたったのでティルは不思議そうにこちらを眺めている。
 あぁ、もう。
「どこから来たんだ?」

 あっ。

 これちょっとマズッたか。これ、探られていると誤解されるか?
 地雷踏んだかも知れん。言ってから気付くとは、なんで微妙にヌケてんだ俺。命を狙われているっていうのにのんきなこった。
 日本人ではない様子だが、というニュアンスで言ったのだが。
 …………うん、仕方ないな。
 と、いらぬ爽やかささえ混じった覚悟をしたがティルは別に表情が変わったわけでなく、元の無表情だった。
 ふぅ。
 危ない。

 俺が発言してからここまで約二秒、その間に百面相を壮絶に繰り広げた努力はまさに骨折り損となったわけだが置いておく。
 まず安心の余韻に浸ろう。
 ドレッシングをかごに放り込みながら胸を撫で下ろす。
 しかし気付いた。
 自分が質問をする際に用いた時間よりも遙かに長い沈黙が今流れていた。
 当然俺は不思議に思い、ティルの顔を覗いた。とたん理解した。
 俺もこんな顔を二十行前あたりにしていたことに。
 ティルは静かに口を開き、言葉をひねり出す。
 当然国名たらなんたらが返ってくるだろう。
 当たり前だ。
 しかしその返答は
「……奈落」
 とっても奇抜でした。







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