白の世界

第四章:空間の凝結

 さて、今こいつはなんと言ったか、皆さんお解りだろうか。
 もう一度、スローでご覧いただこう…………
 ……やっぱり解らないな。解析不可能。
 もしくは俺の耳に届かなかったか、また、あまりにも理解不能なものだったため今後の不安材料として自動的に俺の脳が切り捨てたかのどちらかだろうと思うが、どちらだろうな?
 足し算よりも簡単だろうが。
「な、んだって?」
 まったくの予想外に対する能力を問われるだろうこの場で、俺は人生経験が確実に不足していたらしいことを実感した。あと裏声も久しぶりにだした。
 まあ置いといて。
 なんて言ったんだこいつは。奈落? そんな地名あったか?
 ないないないない。ないって。ないよ。たぶん現実にはないよ。あるとしたらここじゃないよ。そこに観光に行ったら当分元の場所には帰ってこれないよ。
 じゃあなんだ? うん?
 まずテンパった俺の精神を落ち着かせる、と。
 あれ、もしかして本当に聞こえなかったのかな? と、錯覚をおぼえる、がここで疑問。
 ちょっと待て? 錯覚? 錯覚なのか? 本当に聞こえなかったんじゃないのか?
 あれ? どうだ? 聞こえなかったんじゃないのか?
 聞こえてないような、聞いたような。いや、聞こえてないかも……
 …………聞こえなかったんだろう。 たぶん。
 たぶんそうだ、たぶん。俺が間違っていたんだろう。駄目だな、自分の間違いを人に押し付けるのは。よくないな。ははははは。
 すぐに聞き返さなくては悪いな、ほんと。
 うん、そういや間違いを間違いのまま飲み込んだらいけないと中学校の先生が言ってたな、確か。
 答え合わせはまめにしろ、といつもほざいていた。
 間違いを間違いのまま覚えるかららしい。
 無理にでも突っ込みいれるとすれば、「いや当たり前」としか言えないな。
 でも当たり前のことができないやつも多いけどな。
 …………本当にどうでもいいこと思い出したな。
「すまない。聞こえなかったみたいだ」
 俺は言った。
 しかし、目の前の可憐な少女は少し後悔の念が入った顔をして(と、俺には見えた)、花びらのような薄い、しかし形のいいくちびるをもどかしそうに動かす、しかし視線は泳ぐことなく俺の両眼に固定していた。
 簡潔に表すと、無表情でした、で片がつくが。
 なんだこいつ。本当に無表情だな。
 なに考えているのかさっぱりわからん。
 ……俺も同じような顔してるのかもしれんが。
 と、なんでもないことに考えを及ぼしているとついにティルが口を開くときがきた。
 今までの会話のように、平淡で何も無い滑らかな鉄の表面のような、そんなつかみどころの無い声が耳に直接響く。
「別に、なん、でも、ない」
 うん。
 残念ながらごまかすのは不得手なようで。 
 やはり聞き間違いではなかったみたいだ。
 俺のミスではなかったみたいだ。
 うんよかった。
 さて、買い物の続きをしなければ。
 ごまだれごまだれ。


 いや、放ってはおけないだろ。
 と、ドレッシングに伸ばした手を瞬間的に引っ込める。
 突っ込まなければいけない、ここは男として。
 もしかするとなにか俺にも関係あるのかもしれないのだ。
 そう一秒以下で考えをまとめ、ふとティルに目を向けると、ご自宅によくある形のソースを手にとってまじまじと品定めしている。
 なにしてんだこいつは。
 いやほっとけ。ここが、このときこそが俺の正念場だ。
アレだ、お約束というやつだ。あんまし、奈落……? だったか? と言ったことに関しては興味ないが……いや興味持っとけ俺。普通に考えて突っ込むべきところだ。
 やらねばならぬ。
 そうだ、やらねばならぬ。
 と、何秒か葛藤? を抱きつつも答えを導きだした俺は、戸惑いつつもグッと拳を握り締める。
「なんでもないって、おま――――

 
 
 何が起きたのか、その一瞬は断片しか解らなかった。
 キン、と細く加工された金属を打ち合った音が耳をすっと通り抜けた。
 それから半秒も置かずに轟音。
 それこそ、コンクリートや金属、ガラスなどを同時に破砕したような。
 もっとわかりやすく言うと、このスーパーの一部を丸ごと吹っ飛ばしたような音が。
 それが体に激突する。
「ッつ、あぁ!!?」
 明らかに、どこかの物が落ちた、というレベルを逸脱している異音が耳で弾けた。
 ほぼ反射的に耳を押さえつけ、たじろいだ体を急いで前かがみに立て直す。
 地面が揺れるほどの、いや、実際に揺らした衝撃に判断力を削がれ、しかし何とか残っている全てを用い、次の行動にあたり一面を確認する。
 しかし無駄な行為だった。
 そこは左右を商品棚に囲まれたスーパーの一部であり、ましてや非常事態を考えて見通しのいいように作られたものではない。
 それは解っていながらも苛立ちを生じさせた。
「なんだっ、てんだ。テロか何かか!?」
 地面には先ほどまで見ていたガラス瓶その他もろもろが威勢よく飛び出し、転がっている。
 地震ともいえる今の破壊音に身を任せた所為だろう。
「くっそ……!」
 口に出すつもりではなかったが、悪態が無意識に口の外に飛び出す。
 意味は無いことはわかる。しかし、自分と外界とをつなぐ一番のインターフェースである行為、視るということを人間として無視できない。
 ほぼ無意識に周りを見渡す。
 そう、無意識とつくくらいだから、何も考えていない状況だった。
 それでもなお視界にまとわりつく白い気体を振り払いつつ、首を振り回す。
 目標が何なのかはもわからない。寒気に身を震わせ……

 気づいた。
 気づいてしまった。
 いや、気づいていたのかもしれない。
 しかし、しかし信じたくなかったのだろう。

 頭が、疼く。
 
 温度が確実におかしい。
 それが一番の変化だった。
 身体の表面が熱いほど、自分を包み込む空気は低い。
 そして周りを囲む商品棚や売り物にこびり付く氷結晶。
 空気中の水分は全て気化し、白く光放ち、そう、それはまるで。

 白い世界に閉じ込められた、そんな……

「!!? なッ!!!?」
 思考はとうに停止していた。
 考えることを拒むかのように、眼から入った情報を外に垂れ流す。
 ただ狼狽するしかできない自分。何もできない自分。
 最初は自分がうろたえていることすら解らなかった。
 足も動かせない、声も出ない。そんな事実も解釈できない。
 しかし、まだそのほうがよかった。 
 そんな自分にふと気づく。
 そうしてしまうと、一瞬で。
 ――――今まで感じたことの無い恐怖。
「……ぁ…………!」
 一番恐れるべきは、自分が恐れていることを理解することだった。
 何が起こっているのか、まったく判断できない。そんなどころか、完全に予想範囲を逸脱していた。
 要するに、ありえない。
 これまで抱いてきた恐怖などとは、次元が違う。
 同じ恐怖として一括りしてはいけない、そのような完全に、異質なもの。
 こんなところに、自分は入ってはいけない。違う、入れない場所だ。
 なのに、なんでいるんだ……?
 小刻みに震える左手を右手で押さえつけようとする。
 右手も、震えていた。

 脳が、疼く。
 

「…………来たの?」
 ふいに声が聞こえた。
 それは俺には美しい旋律のようにも聞こえた。
 時が止まった。
 時間が回ることを忘れた世界。
 そこで、俺はゆっくりと眼を横に向ける。
 自然と、俺の瞳はそれを映す。
 それがこの世界の理であるかのように。
 当然の帰結のように。
 俺の瞳は、彼女を映した。
 白銀の細い線をたなびかせ、無表情を浮かべる一人の少女を。
 まるで、小さなろうそくに揺らぐ灯火のように。
 消え行きそうに静かに、それでいても燃ゆる、一つの芸術。
 そうだ、こいつはずっと最初から俺の隣にいた。
 最初からずっと。
 動くことなく。
 ずっと無表情で。
 急に、今までの自分が急に馬鹿らしく思えてくる。
 何をうろたえていたのか。
 何故、恐怖を感じていたのか、と。
 こいつと同じように、胸を張れと。
 何の前触れも無くティルの体がすっと沈む。
 ティルは静かにその体を前にかがめた。
 そして急に、ふわっと体を持ち上げる。 
 その動作と一連の動きで、唐突に
 俺を蹴った。
 
「なにッ!!?」
 ゴッ、と鈍い音が体内に響き、不恰好なまま吹っ飛ぶ。
 腰元に激痛。多分さっきのことよりも驚いた。
 三メートルほど先の地面に着地、そして受身。
 意外性を付きすぎたあまりの唐突な一撃に対し、受身を終えた瞬間に俺は怒声をあげる。
 つもりだった。
 それを遮ったのは氷塊。
 ガボッ、という異音と共に巨大なツララが現れる。
 俺が先ほどまでいた場所を見事に貫ぬく。
 それも、商品棚を砕き突き抜けながらの登場。
 砕け散るガラスを見届ける最中、俺は横に並んでいた少女を思い出す。
「ティル!!!?」
「何?」
 横にいた。
「ぉうわっ」
 何事もなかったかのように、というか本当に何も無かったと言うようにティルの瞳には何の色もない。
 ただ立っている。
 それだけなのに、威圧の類の何かが彼女を包んでいた。
 表情には何も浮かべていない。
 客観的にみれば、だが。
 俺の主観が入れば、それは目標に対して脅しをかける表情に似ていたと感じた。
 首をもたげ、顎をついっと上げる。
 氷塊にわけ隔てられた先に向けて。
 その先には……
「……用は、何?」
 蒼く揺らぐ人影。


「ハハッ」


 脳が、一層疼いた。






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